他人三世代

マンションに住んでます。

おくりびと鑑賞

担当はみーくん

 

 

久々に映画を鑑賞する。

おくりびと滝田洋二郎

納棺師という職業への偏見と自己との葛藤に焦点を当てた作品。中盤までは乗れたが、広末涼子の納棺師に対して述べたバイアス全開の演説で冷めてしまった。

「私はあなたが好きなの!」

そう自分の理想の枠に収まった旦那がね。

本木雅弘の妻や周囲の仕事を辞めて欲しい気持ちと自分の仕事をしたいという気持ちとの葛藤。うーん、そんなに悩むことのほどか(笑)

構造で見れば理解はできる。

主人公の仕事にやりがいを感じるようになった思いと周囲の納棺師に対しての偏見とのぶつかり。主人公の欲求や思いがそのコミュニティの中でマイノリティであればあるほど魅力的になる映画的構造だ。今回この構造が上手くいっていない、働いていないとする(個人的に主人公の欲求に乗れなかったため)。なぜか、思うに主人公の欲求とぶつかる周囲のコードが共感しにくいものだったからではないだろうか。納棺師という職が身近な仕事でないこともあるが、そんなに差別や偏見にさらされる仕事なのだろうか。もしそうなら物語序盤にそうした偏見の対象で在る理由や背景にもスポットを当てるべきだったと感じた。或いは夫婦の結びつきをより強くするシーンを付けるなど。広末涼子が戻ってきてたシーンには思わずツッコんでしまった。

「やっぱり私がいないとだめね」

いやいやいないとダメなのはあんたの方だろ。この時広末涼子が帰ってきたのはあなたのためなんかではなく妊娠が発覚したためだ。構造云々よりも広末涼子(役名失念)の人格に問題があるな。語弊のオンパレード。広末涼子の人格に問題があるかなんて知らん。

まあ対主人公に対する周囲のコードは納得いくものの方がいいのかも知れないな。

どちらにせよいかに主人公の欲求に観客を乗せられるかがキーになるには違いない。