他人三世代

マンションに住んでます。

日プを失った上原潤babyうちぴの今

この記事はうちぴが書きました。

 

 

去る12月11日。

木曜日から日プがなくなったあの日。

私は言いようのない悲しみを知りました。

 

 

 

毎週木曜はproduce101japanの日でした。

リアルタイムで観られたことは一度もなかったけれど、うちぴが夜勤のバイトじゃない日は、23時半からのアーカイブ配信をねねりんと観ました。

どうしてもテレビで観たかった私たちは、ドンキで『Amazon fire TV stick』を買いました。

大画面で観る日プ練習生…

よかった…ひたすらによかった…

 

 

そして毎週、木曜日を心待ちにする日々が続きました。

どうしても待ちきれない日は、前の回を見直して過ごしました。

未公開シーンもすべてチェックし、公式インスタで公開される写真すべてをじっくりと楽しみました。

練習生の情報を手に入れたすぎて、ツイッターで検索をかけまくった日もありました。

流出写真(とされる画像)でさえも、飢えたうちぴにとっては大事な養分でした。

 

 

なんでもいい……

 

彼が日本に生きる若く美しく高い志を持った人間だということ……

 

それをテレビ越しではなく、もっと身近でリアルな、現実味を帯びさせる何かを……情報を……

 

 

手に入れたい………

 

 

 

 

ストーカーじゃないよ。

ネットの情報を鵜呑みにもしない。

 

でも知りたかったんだよ…

彼らが本当に存在するんだって…

あんなに夢に向かって頑張れる人たちがいるんだよ。

私の周りにはねねりんとみーくん…あとバイト先にも…みんな頑張ってるよ…

 

うちぴは、夢を追いかける人たちの中でも、特にアイドルを志す人、アーティストになるために努力する人が大好き。

狭き門だけど、しんどいことのが多いかも知れないけど、でもアーティストって職業は、代わりがない。

オンリーワンなんだよ…

たくさんのファンに支えられて、たくさんのファンを支える。すごい人なんだよ。

神様みたいな存在なんだよ。

同じ人間なのに、それができるのがアイドルやアーティスト。 

 

だからこそ難しい。

 

 

 

 

 

 

12月11日。

潤がデビューできなかったあの日。

私は怖かった。

 

潤の夢は私の夢だった。

私と同い年の男の子が、韓国アイドルを目指して努力し続けたその道の先にデビューはなかった。

 

最終順位は20位だった。

 

私はどこかで油断していた。

1日2回できる投票は一票は必ず潤、もう一票は碧海や本田くん、hicoに入れていた。

それを、1日2票入れていたら。

私は、碧海も本田くんもhicoも、潤と同じくらい応援していた。1人になんて絞れないと思っていた。

 

これに関しては私が甘かった。

 

私がもし、たった一人しか救えない場面に出くわして、選べずに、二人ともに手を差し伸べたら。

きっとどちらも救えない。

 

 

 

 

 

 

潤はこれからどんな夢を見るんだろう。

私はこれからどうすればいいんだろう。

潤がいないJO1のファンクラブサイトを開いた。月額500円でファンクラブに入れるのに、手が止まって入れなかった。

潤が日プの最終回で歌った、グランドマスターを音源で聴いた。

潤は確かにここにいるのに、確かに輝いて私に存在を教えてくれるのに、JO1には潤の姿はない。

 

 

 

潤が路上で踊る動画を何度も観た。

自分の名前をスケッチブックに書いて、韓国のオーディション番組での、一番最初の課題曲を踊っている動画。

潤はこの番組では、序盤で脱落してしまっていた。

踊る潤の後ろでは、大きな花火が上がっていた。流れ星のように光の線を描いて空に打ち上げられる花火。

潤は一人でもアイドルをしていた。

 

 

 

私の待ち受けは潤だ。

潤を見つけて気づいてから、ずっと潤。

この潤の顔を見ていると、だんだん切ない気持ちになってくる。

泣いた後みたいな赤っぽい目と、無理に作ったように見える笑顔、潤んだ瞳。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の潤は昨日の潤より、笑えているのかな。