淵に立つ、
担当はみーくん
タイトルの「、」が私だと思って欲しい。
落ちていく私、今回は戻ってこれるか。
というのも、今回の課題であるリライト作業にまんまと躓き、リライトの穴にコロコロ迷い込んでしまっているのだ。
いままであったモチベーションや集中力と言ったものたちは「リライト」の名を聞き、私の身から逃げ去った。
リライトにはほとほと参る。おにぎりコロコロ。
彼らを呼び戻すためには、自分なりに今目の前に在るものを面白くする工夫、態度が必要だ。どんな仕事も作業も、面白くなるかどうかは自分次第と言った話しだ。
では、私の面白い作業とは何だろうか。その「根」を理解し意識さえすれば、どんなに相手にしたくない作業であっても、等しく好ましい態度で取り組めるのではないだろうか。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、食われて帰ってくるのがいつものおち。
淡い期待を寄せて、少しない頭を捻ってみよう。
私が脚本を書くプロセスの中で特に意欲的に取り組んでいる作業は初稿の執筆だろう。
それは、一つ一つの掛け合いを自分なりの面白さと擦り合わせる作業だったり、頭の中だけに在った面白さの核が、目の前で構築されていく様だったりを楽しむ、演出的作業が多いからだと推測する。
まあそれを面白がる人、リアクションを取る人間は私だけなんだが。
随分滑稽な話だ。
この演出的態度(笑)をつねに取っていけば、自然と駄々下がったモチベーションも右肩上がりに回復することだろう。
そんな、(笑)な態度を取るにあたり理解しておくべきなのは、私の面白さの「核」だろう。これがないんじゃ擦り合わせることなんて出来ず、話しの有象無象に呑まれてしまう。それに沿って舞台やキャラを決め話しを構築していく、と。
頭では分かっているのにも関わらず、リライト作業でいつもそんな態度や話し事態がお釈迦になるのは、その核が新たにもう一つ出現し主張を始めるからだ。
「どうですか、こんなんありますけど」
それは、私の至らなさが招いたまやかしと言ってもいい。
まやかし故に自分の魅せ方を分かってるんだこれが。そんな奴を無意識に取り込み、作品にも取り込む私。しかし、今まで綺麗に積んでいただろう積木とは、サイズも色も違うので積木は不格好になり崩れていく。
この不格好さが生む崩壊は、移植した際の拒否反応にも近く、及ぼす影響は脚本を超えて私のそれというそれに負のダメージを与えていく。
話しが逸れた。
脚本企画当初の「核」を念頭にやっていけば、何とかなるのかもしれないな。
褪せてなければだけど。
褪せた白黒万歳(結局曖昧、戻ってきただけよし)。